『サムライ』 思いだせ、ガキの頃を…
今日は【古~い映画】の時間です。
こんばんは、ロッカリアです。
寒々としたアパートの一室、ベッドの上に服を着たまま横たわるジェフ(アラン・ドロン)。
籠の中の鳥の鳴き声だけが、その部屋に響き渡る。
タイトルバックが終わると、「武士道」とは、を説明したフランス語が重なる。
それも消えると、突然固定されていた画面が揺れて不安定になったかと思うと、またすぐに落ち着く……。
何だったんだろう?と思っていると、ジェフが起き出して、コートをまとい、鏡に向かって、帽子(多分ボルサリーノ)のツバを指で横一文字になぞる。
これから死地に赴く武士の儀式のようだ。
僕的にはこのシーンだけで昇天だ……。
この映画は全編、フランス人が見たサムライ像が徹底的にドロンに反映されている。
カッコ良過ぎるし、ドロンの美貌が災いして、僕がガキの頃は、男女問わず、結構批判めいた事も耳にした。
(こんな感じで↓いつも見てます)

全編に流れるジャズ、降りしきる雨、決して笑う事の無い男の生き様。
あの有名なラスト・シーンは、映画史上何度も繰り返された。
この作品は、ドロンのイメージを決定的にしたばかりか、一匹狼のスタイルも確立させた。
若い人なら、『レオン』を思い浮かべると分かり易い。あの映画の100倍ニヒル(し、死語か…)な主人公が、この作品のジェフなのだ。
(僕目線で映画を見るとこんな感じ↓)

しかしながら、このドロンの代表的な作品も、今や廃盤となり、DVDは高額取引の対象となっている。
レンタル制度が開始されてから何十年経つと思っているんだろうか?
見たい映画が見られない。
マニアしか買わない作品じゃなくて、マニアしか買えない価格設定も再考して欲しい!(←つまり、お金が無いと言っている)
この映画を見て、ガキの頃を思い出した。
こんなシブい大人になりたいと、真剣に思ったあの頃。
最近の映画に、こんな影響力を持つ作品が誕生するのだろうか?
そんな事を考えさせる映画でした。
それにしても、フランス映画には、ほんと、雨が良く似合うもんだなぁ……。
最後に、冒頭の約10分間の映像をノーカットで。この間、セリフが無いのは、オールド・ファンの間では有名です。
お暇な人は、ゆっくり見て行って下さいね。
こんばんは、ロッカリアです。
寒々としたアパートの一室、ベッドの上に服を着たまま横たわるジェフ(アラン・ドロン)。
籠の中の鳥の鳴き声だけが、その部屋に響き渡る。
タイトルバックが終わると、「武士道」とは、を説明したフランス語が重なる。
それも消えると、突然固定されていた画面が揺れて不安定になったかと思うと、またすぐに落ち着く……。
何だったんだろう?と思っていると、ジェフが起き出して、コートをまとい、鏡に向かって、帽子(多分ボルサリーノ)のツバを指で横一文字になぞる。
これから死地に赴く武士の儀式のようだ。
僕的にはこのシーンだけで昇天だ……。
この映画は全編、フランス人が見たサムライ像が徹底的にドロンに反映されている。
カッコ良過ぎるし、ドロンの美貌が災いして、僕がガキの頃は、男女問わず、結構批判めいた事も耳にした。
(こんな感じで↓いつも見てます)

全編に流れるジャズ、降りしきる雨、決して笑う事の無い男の生き様。
あの有名なラスト・シーンは、映画史上何度も繰り返された。
この作品は、ドロンのイメージを決定的にしたばかりか、一匹狼のスタイルも確立させた。
若い人なら、『レオン』を思い浮かべると分かり易い。あの映画の100倍ニヒル(し、死語か…)な主人公が、この作品のジェフなのだ。
(僕目線で映画を見るとこんな感じ↓)

しかしながら、このドロンの代表的な作品も、今や廃盤となり、DVDは高額取引の対象となっている。
レンタル制度が開始されてから何十年経つと思っているんだろうか?
見たい映画が見られない。
マニアしか買わない作品じゃなくて、マニアしか買えない価格設定も再考して欲しい!(←つまり、お金が無いと言っている)
この映画を見て、ガキの頃を思い出した。
こんなシブい大人になりたいと、真剣に思ったあの頃。
最近の映画に、こんな影響力を持つ作品が誕生するのだろうか?
そんな事を考えさせる映画でした。
それにしても、フランス映画には、ほんと、雨が良く似合うもんだなぁ……。
最後に、冒頭の約10分間の映像をノーカットで。この間、セリフが無いのは、オールド・ファンの間では有名です。
お暇な人は、ゆっくり見て行って下さいね。
『シャレード』でスタート!
今日は【新年スタート】の時間です。
新年あけまして、おめでとうございます。ロッカリアです。
今日からお仕事と言う人も多かったんじゃないでしょうか。
正月にまたまた体重増加してしまいました……。明日からまた気を引き締めて頑張るぞ~い!(嘘付け…)

プロローグでいきなり列車から放り出された男は、離婚しようと考えていたレジーナ(オードリー・ヘップバーン)の夫だった。
このダンナ、戦争中に25万ドルを、仲間を裏切って独り占めにしちゃったから、当然のように殺されてしまったのだ。
そして、25万ドルの大金の行方を知っているのは妻のレジーナだと、悪党たちが寄ってたかって脅迫を始める。
ケーリー・グラント扮するピーターと名乗る男が、私は味方だと言ってレジーナを守ろうとするが、ピーターの正体も二転三転してどうも怪しい……。
連続殺人事件の犯人や、25万ドルの意外な隠し場所、ジェームス・コバーン、ジョージ・ケネディ、ウォルター・マッソーの豪華な顔ぶれに加えて、オードリーが清純なイメージを一掃、セクシーでキュートな女性を演じて、とても楽しい作品に仕上がっている。
『シャレード』とは、ジェスチャー・ゲームや言葉遊びと言った意味がるが、僕は昔、TVの洋画劇場で解説者(誰だか思い出せない…)が言った、【謎解き】と言う響きが今も印象に刻まれていて、作品の内容も、こっちの方が合っているような気がする。
パリを舞台に、ジバンシーのファッションを身にまとい、ルイ・ヴィトンのバッグを引っ提げて街中を闊歩するオードリーの存在なくして、この作品は絶対成り立たない!(きっぱり)
ヘンリー・マンシーニの音楽も、一度聴くと忘れられない名曲だ。
ストーリーだけを聞くと、血生臭いミステリーを想像してしまうが、スタンリー・ドーネン監督は、ケーリーとオードリーにコメディ要素を与え、ポイントポイントにウォルター・マッソーを配する事で、ユーモラスでありながら、とてもロマンティックなミステリーを作り出している。
若い世代の人にこそ見て欲しい作品だ。
これが、映画。
新年あけまして、おめでとうございます。ロッカリアです。
今日からお仕事と言う人も多かったんじゃないでしょうか。
正月にまたまた体重増加してしまいました……。明日からまた気を引き締めて頑張るぞ~い!(嘘付け…)

プロローグでいきなり列車から放り出された男は、離婚しようと考えていたレジーナ(オードリー・ヘップバーン)の夫だった。
このダンナ、戦争中に25万ドルを、仲間を裏切って独り占めにしちゃったから、当然のように殺されてしまったのだ。
そして、25万ドルの大金の行方を知っているのは妻のレジーナだと、悪党たちが寄ってたかって脅迫を始める。
ケーリー・グラント扮するピーターと名乗る男が、私は味方だと言ってレジーナを守ろうとするが、ピーターの正体も二転三転してどうも怪しい……。
連続殺人事件の犯人や、25万ドルの意外な隠し場所、ジェームス・コバーン、ジョージ・ケネディ、ウォルター・マッソーの豪華な顔ぶれに加えて、オードリーが清純なイメージを一掃、セクシーでキュートな女性を演じて、とても楽しい作品に仕上がっている。
『シャレード』とは、ジェスチャー・ゲームや言葉遊びと言った意味がるが、僕は昔、TVの洋画劇場で解説者(誰だか思い出せない…)が言った、【謎解き】と言う響きが今も印象に刻まれていて、作品の内容も、こっちの方が合っているような気がする。
パリを舞台に、ジバンシーのファッションを身にまとい、ルイ・ヴィトンのバッグを引っ提げて街中を闊歩するオードリーの存在なくして、この作品は絶対成り立たない!(きっぱり)
ヘンリー・マンシーニの音楽も、一度聴くと忘れられない名曲だ。
ストーリーだけを聞くと、血生臭いミステリーを想像してしまうが、スタンリー・ドーネン監督は、ケーリーとオードリーにコメディ要素を与え、ポイントポイントにウォルター・マッソーを配する事で、ユーモラスでありながら、とてもロマンティックなミステリーを作り出している。
若い世代の人にこそ見て欲しい作品だ。
これが、映画。
『小さな恋のメロディ』 愛すべきシネマだ…
今日は【ハイビジョンで見た映画】の時間です。
こんばんは、ロッカリアです。
昔の映画を見ると、その頃の懐かしい思い出が蘇える事がある。
先日の『恐怖に襲われた街』の時に書いた、銭湯のエピソードなどがそうだ。
この映画は、それ以上に、思い出が蘇えると言うよりハ、少し大袈裟に言うなら、時にマーク・レスターのように、或いはジャック・ワイルドのように、僕は子供の姿を借りてスクリーンの中に入り込む。
勿論錯覚なのだが、それほど、この映画の中の少年たちと、僕が過ごした時代の出来事がシンクロしているのだ。
工場の廃墟や空き地でよく遊んだし、爆竹や花火の火薬だけを取り出して爆弾まがいのモノも作った。(←今考えると恐ろしい…)
小学生にもかかわらずタバコも吸ったし、授業をサボって遊びにも出かけた。
ただ、決定的にイギリスの少年と違うところは、女の子には奥手だった。
混ざって遊ぶ事はあっても、二人っきりで、しかも手をつなぐなんて事は、フォークダンスの時以外には考えられない事だった……。

僕が初めてこの映画を見たのはTV放映。劇場公開から数年経ってからで、おそらく中学生の時だったと思う。
ビージーズの「メロディ・フェア」と言う主題歌にハマり、イギリスの小学生の生活ぶりに憧れ、やんちゃなジャック・ワイルドを強く意識したものだ。
ダニエルを演じたマーク・レスターに女の子たちも夢中になっていたが、それよりもメロディことトレイシー・ハイドの人気は、男女を問わず凄いものがあった。
「ロードショー」や「スクリーン」と言った映画誌も、ポスト・カードやミニ・ポスターを付録に付け、競ってトレイシーの特集をしていた。
だが、彼女の出演作はこの一作で、新たな魅力の発見もなく、彼女が成長して行く中で、メロディとのギャップは大きくなる。そして、僕が高校生ぐらいになると、彼女の姿を見かける事は無くなっていった……。
しかし、映画と言うものは本当に凄い発明で、2時間と言うその中に、その時の文化や生活、若さや老いと言うものを閉じ込めるだけでなく、見た人の思い出までも、タイム・マシンのように積み込んで、いつでも蘇えらせてくれるのだ。
映画は見る度に、新しい発見をもたらしてくれる、と僕は常々言っているが、今回も例外ではない。
今回は二つ。
ひとつは、メロディが好きだけど、中々気持ちを伝えられずにモジモジ君状態のダニエル、ツンデレっぽいメロディから手を差し伸べられ付き合い始めると、急に大人っぽくなりメロディをリードして行く。
逆にメロディは、どんどん女らしくなっていくのだ。演出なのか、自然の流れなのか、とても面白い。
もう一つ。
今や名曲になったビージーズの歌う主題歌「メロディ・フェア」
僕も大好きだが、ちょっと待てよ、今じっくり聞くと、だんだんビートルズの曲に聞こえてくる!
リズム・メロディ・ハーモニー、それに歌声、サウンド全てにおいて、ビートルズの演奏だと言われても違和感が無い!(思い込みの激しい性格である…)
ためしに聴いてみてね。
この映画も70年代の作品。ああ、愛しきかな70’Sシネマ、なのである。
今宵、いい夢を……。
こんばんは、ロッカリアです。
昔の映画を見ると、その頃の懐かしい思い出が蘇える事がある。
先日の『恐怖に襲われた街』の時に書いた、銭湯のエピソードなどがそうだ。
この映画は、それ以上に、思い出が蘇えると言うよりハ、少し大袈裟に言うなら、時にマーク・レスターのように、或いはジャック・ワイルドのように、僕は子供の姿を借りてスクリーンの中に入り込む。
勿論錯覚なのだが、それほど、この映画の中の少年たちと、僕が過ごした時代の出来事がシンクロしているのだ。
工場の廃墟や空き地でよく遊んだし、爆竹や花火の火薬だけを取り出して爆弾まがいのモノも作った。(←今考えると恐ろしい…)
小学生にもかかわらずタバコも吸ったし、授業をサボって遊びにも出かけた。
ただ、決定的にイギリスの少年と違うところは、女の子には奥手だった。
混ざって遊ぶ事はあっても、二人っきりで、しかも手をつなぐなんて事は、フォークダンスの時以外には考えられない事だった……。

僕が初めてこの映画を見たのはTV放映。劇場公開から数年経ってからで、おそらく中学生の時だったと思う。
ビージーズの「メロディ・フェア」と言う主題歌にハマり、イギリスの小学生の生活ぶりに憧れ、やんちゃなジャック・ワイルドを強く意識したものだ。
ダニエルを演じたマーク・レスターに女の子たちも夢中になっていたが、それよりもメロディことトレイシー・ハイドの人気は、男女を問わず凄いものがあった。
「ロードショー」や「スクリーン」と言った映画誌も、ポスト・カードやミニ・ポスターを付録に付け、競ってトレイシーの特集をしていた。
だが、彼女の出演作はこの一作で、新たな魅力の発見もなく、彼女が成長して行く中で、メロディとのギャップは大きくなる。そして、僕が高校生ぐらいになると、彼女の姿を見かける事は無くなっていった……。
しかし、映画と言うものは本当に凄い発明で、2時間と言うその中に、その時の文化や生活、若さや老いと言うものを閉じ込めるだけでなく、見た人の思い出までも、タイム・マシンのように積み込んで、いつでも蘇えらせてくれるのだ。
映画は見る度に、新しい発見をもたらしてくれる、と僕は常々言っているが、今回も例外ではない。
今回は二つ。
ひとつは、メロディが好きだけど、中々気持ちを伝えられずにモジモジ君状態のダニエル、ツンデレっぽいメロディから手を差し伸べられ付き合い始めると、急に大人っぽくなりメロディをリードして行く。
逆にメロディは、どんどん女らしくなっていくのだ。演出なのか、自然の流れなのか、とても面白い。
もう一つ。
今や名曲になったビージーズの歌う主題歌「メロディ・フェア」
僕も大好きだが、ちょっと待てよ、今じっくり聞くと、だんだんビートルズの曲に聞こえてくる!
リズム・メロディ・ハーモニー、それに歌声、サウンド全てにおいて、ビートルズの演奏だと言われても違和感が無い!(思い込みの激しい性格である…)
ためしに聴いてみてね。
この映画も70年代の作品。ああ、愛しきかな70’Sシネマ、なのである。
今宵、いい夢を……。
【第三の男】 シネマ・サーフィン~12~
今日は【世紀の傑作映画】の時間です。
こんばんは、ロッカリアです。
個人的な事で申し訳ありませんが、今日で51歳になりました……。(←それが何だ!)
こほん。
まず最初に、これはミステリーなのか?と言う疑問に、じゃあサスペンス?フィルム・ノアール?サスペンス?ラブ・ストーリー?と自問自答してみた。
これらの要素を全て含んだミステリーだと言えるんじゃないだろうか。
第二次世界大戦後に、旧友のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)から、仕事を紹介するからウィーンに来いと言われるホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)。
だが、到着してすぐにハリーの家を訪ねると、彼は交通事故で死んだと知らされ、その足で葬儀場へ向かう。
ハリーはすでに土の中へ埋められるところで、そこにいたハリーの彼女、アンナ(アリダ・ヴァリ)はまだ死んだ事が信じられない様子で、すぐに立ち去る。
そこで知り合ったキャロウェイ少佐から、ハリーは闇取引の悪人だと聞かされ、作家の性分なのか、ハリーの事を調査し始めるが……。

事故当時、倒れたハリーを介護した人間が、当初二人だと言われていたのだが、ハリーの家の管理人(門衛)の証言から、そこに第三の男の存在が判明する。
だが、この証言をした管理人が何者かに殺されると、その容疑がホリーにかけられる。
逃げるように、アンナの家に転がり込んだホリーだったが、アンナからはハリーと呼ばれ気分が悪い。
おまけに、アンナの買っているネコは、ハリーにしかなつかないと言う。
そのネコを横目で見ていたが、ネコが部屋を出て行くと、暗闇の中にじっとしている男の足元で、楽しそうにじゃれていた……。
ヒッチコックの影響を多分に受け、それを手本とした映像設計だが、ヒッチ先生の徹底した作り込みの美学に対して、キャロル・リード監督は、都会的で洗練された映像で魅了する。
特に、音楽に関して言えば、ヒッチ先生は人間の心理描写、場面効果を狙ったのに対して、リード監督は、主人公たちの感情を表す事に徹底した。
この効果は絶大で、今やビールのCMでお馴染みのあのテーマ、今や絶滅危惧種のチターという多弦楽器が奏でるメロディーは統一感がありながら、場面場面で違う印象、最初と最後ではその響きの意味が全く違うように感じると言う、全く見事としか言いようがない。
戦後直後のウィーンの街並み、遊園地の観覧車、ホテルや古い建物の空気感、それらが全てミステリーの舞台装置であり、その集大成が迷路のように張り巡らされた下水道でのチェイス。
ここ一番で見せる光と影の魔法のような演出。
作家のグレアム・グリーンが書き下ろした原作と脚本。
これらが見事に融合して、あのラスト・シーンへと繋がって行くこの作品は、映画史上に燦然と輝く傑作だと明言した。
この映画を見ずに、映画を語る人は、まだ本当に凄い映画と言うものを知らないと思った方がいい。
撮影と演出だけ、他の小細工は一切存在しないこの名画を、特に若い映画好きな人に贈りたい。
これが、映画。
こんばんは、ロッカリアです。
個人的な事で申し訳ありませんが、今日で51歳になりました……。(←それが何だ!)
こほん。
まず最初に、これはミステリーなのか?と言う疑問に、じゃあサスペンス?フィルム・ノアール?サスペンス?ラブ・ストーリー?と自問自答してみた。
これらの要素を全て含んだミステリーだと言えるんじゃないだろうか。
第二次世界大戦後に、旧友のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)から、仕事を紹介するからウィーンに来いと言われるホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)。
だが、到着してすぐにハリーの家を訪ねると、彼は交通事故で死んだと知らされ、その足で葬儀場へ向かう。
ハリーはすでに土の中へ埋められるところで、そこにいたハリーの彼女、アンナ(アリダ・ヴァリ)はまだ死んだ事が信じられない様子で、すぐに立ち去る。
そこで知り合ったキャロウェイ少佐から、ハリーは闇取引の悪人だと聞かされ、作家の性分なのか、ハリーの事を調査し始めるが……。

事故当時、倒れたハリーを介護した人間が、当初二人だと言われていたのだが、ハリーの家の管理人(門衛)の証言から、そこに第三の男の存在が判明する。
だが、この証言をした管理人が何者かに殺されると、その容疑がホリーにかけられる。
逃げるように、アンナの家に転がり込んだホリーだったが、アンナからはハリーと呼ばれ気分が悪い。
おまけに、アンナの買っているネコは、ハリーにしかなつかないと言う。
そのネコを横目で見ていたが、ネコが部屋を出て行くと、暗闇の中にじっとしている男の足元で、楽しそうにじゃれていた……。
ヒッチコックの影響を多分に受け、それを手本とした映像設計だが、ヒッチ先生の徹底した作り込みの美学に対して、キャロル・リード監督は、都会的で洗練された映像で魅了する。
特に、音楽に関して言えば、ヒッチ先生は人間の心理描写、場面効果を狙ったのに対して、リード監督は、主人公たちの感情を表す事に徹底した。
この効果は絶大で、今やビールのCMでお馴染みのあのテーマ、今や絶滅危惧種のチターという多弦楽器が奏でるメロディーは統一感がありながら、場面場面で違う印象、最初と最後ではその響きの意味が全く違うように感じると言う、全く見事としか言いようがない。
戦後直後のウィーンの街並み、遊園地の観覧車、ホテルや古い建物の空気感、それらが全てミステリーの舞台装置であり、その集大成が迷路のように張り巡らされた下水道でのチェイス。
ここ一番で見せる光と影の魔法のような演出。
作家のグレアム・グリーンが書き下ろした原作と脚本。
これらが見事に融合して、あのラスト・シーンへと繋がって行くこの作品は、映画史上に燦然と輝く傑作だと明言した。
この映画を見ずに、映画を語る人は、まだ本当に凄い映画と言うものを知らないと思った方がいい。
撮影と演出だけ、他の小細工は一切存在しないこの名画を、特に若い映画好きな人に贈りたい。
これが、映画。
『薔薇の名前』 シネマ・サーフィン~10~
今日は【ブルーレイで見た映画】の時間です。
こんばんは、ロッカリアです。
この映画に関して、前もって言っておかなければならない事が。
まず、原作の小説と、本作は全く別物である、と言う前提で話を進めて行かなければならない。
何故なら、原作の目的と、映画の目的、言い換えるなら視点が違うからだ。
これは、原作を基本とする映画にとっての宿命だが、この作品に関しては、その事が顕著に表れている。
原作の持つスピリットは?
目的は?
メッセージは?と、この原作の熱烈な読者に批判覚悟で言うならば、映画自体は純粋なミステリーとして語って行きたい。

修道院と言う閉ざされた環境で、一人の修道僧の命が絶たれた。バスカヴィルのウィリアム(ショーン・コネリー)とメルクのアドソ(若き日のクリスチャン・スレーター。彼の回想録と言う形で物語は進んで行く)は修道院に到着早々にこの事実を知る。(ウィリアムの本来の目的は、当時「清貧論争」と呼ばれた、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁のあいだの論争に決着を付ける会談を調停し、手配することにあった)
修道院側は、この出来事を悪魔の仕業だと捉えていた。
と言うのも、死んだ修道僧は、窓の無い図書館塔から飛び降りたか、落下して死んでいたからだ。
だが、洗練された知能と観察力の持ち主ウィリアムは、謎の真相を解き、自殺だと言う事を突き止める。
これが事件の発端だ。
何故なら、どうして修道僧は自殺しなければならなかったのか?と言う疑問が浮かび上がるからだ。
調査に乗り出したウィリアムとアドソだったが、その矢先に殺人事件が起こる。
これが黙示録の一節と合致し、見立て殺人が幕を開ける。
事件は第2第3と、連続殺人事件に発展。
何故かユーモアに嫌悪感を抱く修道院、罪なき人々を神の名のもとに処刑する異端審問官、迷路のような、閉鎖された文書館、アドソと少女の恋……。
全てがジグソーパズルのピースのようにちりばめられ、それをウィリアムは一つ一つ拾い上げ組み合わせて行く。
これは、あっと言う間の2時間10分、ミステリー映画史上に名を残す名作だ。
バスカヴィルのウィリアム、と言うイメージからも連想できるように、これはホームズとワトソン役の定番ミステリーでもある。
そのウィリアムは、古い考え、謎を次々と打破して行くが、彼の持っている老眼鏡こそが、この世界において、知の象徴として扱われている。
余談だが、冬の寒さ厳しい修道院が舞台とあって、そのリアルさを伝えるために主演の二人は勿論、キャスト全員が下着を一切着用しないで撮影に臨んだエピソードは有名だ。
よほど過酷だったのか、これには主演のショーン・コネリーも「二度と出たくない映画」と後に振り返っている。
さて、
ミステリーの王道だろうと思うこの作品のタイトルが、実は今も明かされない最大のミステリーだろう。
『薔薇の名前』とは、劇中、一体何を表しているのか?
これには色んな憶測、解釈があって、「薔薇の名前」とは何か&「薔薇の名前」と普遍論争(ウィキペディア参照) をクリックして貰えれば良いと思うが、記号論哲学者としての面目躍如と言う所だ。
その、所説ある中、僕は単純にこう思う。
バラとは、やはり生涯一度だけ恋をしたアドソの名も無き相手。
ゴミをあさって、顔や手を真っ黒に汚し、着ている服はボロボロ、食糧を得るために自身の身体を捧げてみじめな生活を送ってはいるが、身分や服装、見た目に関係無く、体を一つにして愛し合った女性こそがバラであり、他の物を圧倒する輝きを放っている。
しかし、アドソはその愛した女性の名を知る事も許されない修道僧の立場。
彼は、彼女の名前は、一体何と言うのだろうか……、そう思いをはせる事で、生涯に渡り、彼女に恋をしていたんじゃないだろうか……。
「その考えは、ミステリーにおいてはロマンティック過ぎるだろう」
その通りだと思うが、その声に、僕はあえて反論はしない。
コホン、すぐに話が脱線するのが悪い癖だな。
最後に、映画はミスエリーの王道を行く作品で、時代を中世にまでさかのぼった事により、ある意味閉鎖的空間が生み出され、最後まで緊張感が続く一級のミステリーだと断言しておこう。
秋の夜長にはピッタリの映画だ。
こんばんは、ロッカリアです。
この映画に関して、前もって言っておかなければならない事が。
まず、原作の小説と、本作は全く別物である、と言う前提で話を進めて行かなければならない。
何故なら、原作の目的と、映画の目的、言い換えるなら視点が違うからだ。
これは、原作を基本とする映画にとっての宿命だが、この作品に関しては、その事が顕著に表れている。
原作の持つスピリットは?
目的は?
メッセージは?と、この原作の熱烈な読者に批判覚悟で言うならば、映画自体は純粋なミステリーとして語って行きたい。

修道院と言う閉ざされた環境で、一人の修道僧の命が絶たれた。バスカヴィルのウィリアム(ショーン・コネリー)とメルクのアドソ(若き日のクリスチャン・スレーター。彼の回想録と言う形で物語は進んで行く)は修道院に到着早々にこの事実を知る。(ウィリアムの本来の目的は、当時「清貧論争」と呼ばれた、フランシスコ会とアヴィニョン教皇庁のあいだの論争に決着を付ける会談を調停し、手配することにあった)
修道院側は、この出来事を悪魔の仕業だと捉えていた。
と言うのも、死んだ修道僧は、窓の無い図書館塔から飛び降りたか、落下して死んでいたからだ。
だが、洗練された知能と観察力の持ち主ウィリアムは、謎の真相を解き、自殺だと言う事を突き止める。
これが事件の発端だ。
何故なら、どうして修道僧は自殺しなければならなかったのか?と言う疑問が浮かび上がるからだ。
調査に乗り出したウィリアムとアドソだったが、その矢先に殺人事件が起こる。
これが黙示録の一節と合致し、見立て殺人が幕を開ける。
事件は第2第3と、連続殺人事件に発展。
何故かユーモアに嫌悪感を抱く修道院、罪なき人々を神の名のもとに処刑する異端審問官、迷路のような、閉鎖された文書館、アドソと少女の恋……。
全てがジグソーパズルのピースのようにちりばめられ、それをウィリアムは一つ一つ拾い上げ組み合わせて行く。
これは、あっと言う間の2時間10分、ミステリー映画史上に名を残す名作だ。
バスカヴィルのウィリアム、と言うイメージからも連想できるように、これはホームズとワトソン役の定番ミステリーでもある。
そのウィリアムは、古い考え、謎を次々と打破して行くが、彼の持っている老眼鏡こそが、この世界において、知の象徴として扱われている。
余談だが、冬の寒さ厳しい修道院が舞台とあって、そのリアルさを伝えるために主演の二人は勿論、キャスト全員が下着を一切着用しないで撮影に臨んだエピソードは有名だ。
よほど過酷だったのか、これには主演のショーン・コネリーも「二度と出たくない映画」と後に振り返っている。
さて、
ミステリーの王道だろうと思うこの作品のタイトルが、実は今も明かされない最大のミステリーだろう。
『薔薇の名前』とは、劇中、一体何を表しているのか?
これには色んな憶測、解釈があって、「薔薇の名前」とは何か&「薔薇の名前」と普遍論争(ウィキペディア参照) をクリックして貰えれば良いと思うが、記号論哲学者としての面目躍如と言う所だ。
その、所説ある中、僕は単純にこう思う。
バラとは、やはり生涯一度だけ恋をしたアドソの名も無き相手。
ゴミをあさって、顔や手を真っ黒に汚し、着ている服はボロボロ、食糧を得るために自身の身体を捧げてみじめな生活を送ってはいるが、身分や服装、見た目に関係無く、体を一つにして愛し合った女性こそがバラであり、他の物を圧倒する輝きを放っている。
しかし、アドソはその愛した女性の名を知る事も許されない修道僧の立場。
彼は、彼女の名前は、一体何と言うのだろうか……、そう思いをはせる事で、生涯に渡り、彼女に恋をしていたんじゃないだろうか……。
「その考えは、ミステリーにおいてはロマンティック過ぎるだろう」
その通りだと思うが、その声に、僕はあえて反論はしない。
コホン、すぐに話が脱線するのが悪い癖だな。
最後に、映画はミスエリーの王道を行く作品で、時代を中世にまでさかのぼった事により、ある意味閉鎖的空間が生み出され、最後まで緊張感が続く一級のミステリーだと断言しておこう。
秋の夜長にはピッタリの映画だ。