『コンドル』サスペンス映画の金字塔!
こんばんは、ロッカリアです。
いよいよ始まった盆休み、という方も多いのじゃないでしょうか。
ゆっくり遊んで行ってください。

1. 理由なき殺人の恐怖が生むスパイ・サスペンス
2. あらゆる小説から学んだサバイバル術
3. この恋愛、ストックホルム症候群

1975年に社会派のシドニー・ポラックが監督した、諜報部員を主役にしたサスペンス。
一応CIAに所属してはいるが、その実態は、ただ本や雑誌を読んでレポートを本部に提出するという、まるで読書クラブのような人畜無害な部署だった。
ところが、ランチの買い出しに行って不在だったターナー(ロバート・レッドフォード)を除いた全員が、突然3人の男たちに射殺されてしまう。(明らかにプロの仕業だ)
ランチの買い出しから帰って、パニックになったターナーはCIAに保護を求める。
ターナーの親友の局員と、所属の課長ウィックスが彼の元へ行くが、ウィックスはターナーを見るといきなり銃を撃ってきた。
ターナーが応戦して重傷を負わせると、ウィックスは親友を唐突に撃ち殺してしまった。
訳が分からないターナーは、その場を離れ、一軒のブティックに逃げ込んだ……。


常に命を狙われているというシチュエーションが、この映画を見る者を惹きつけて離さない。
全く身に覚えが無いのに命を狙われるが、本で得た知識を活かして、実戦経験の無いターナーは真相を突き止めようとする。
逃げ込んだブティックで見かけたキャサリン(フェイ・ダナウェイ)を銃で脅し、彼女の自宅に逃げ込むが、やがて二人は恋に落ちる。
ガキの頃に見たこのシーン、「誘拐犯とベッド・イン? んなバカなぁ…」と思って見ていた記憶があるけど、さすがにこの歳になると、「有りだな」と思えるようになった。
これは、ストックホルム症候群と言って、実際にこう言う事があるらしい。
誘拐犯に妙に親切にしてもらったりすると起こる、心理現象の一つ。
僕は単純に「相手がレッドフォードだからなぁ」と、いつもやっかんでいるのだが……。
CIAは、第二次世界大戦の時の、真珠湾攻撃をキッカケに作られた。
その頃は大統領直属の組織で、国内でのスパイ活動は禁止されていた。(FBIがあるからだ)
時が経つにつれ、大統領の目から逸脱すると、巨大な秘密組織に成長、現在ではどれ程の人間が関わっているのかさえ謎、と言うのをこの映画をきっかけに知りました。
ラスト・シーンがとても印象的で、これからコンドルの未来はどうなるのか?誰にもわからない……という表現を見事に表したエンディングです。
お盆休み期間なので、オー!ジョーズ・メーターを復活させてみました。
楽しい映画、たくさんみましょう!

いよいよ始まった盆休み、という方も多いのじゃないでしょうか。
ゆっくり遊んで行ってください。

1. 理由なき殺人の恐怖が生むスパイ・サスペンス
2. あらゆる小説から学んだサバイバル術
3. この恋愛、ストックホルム症候群

1975年に社会派のシドニー・ポラックが監督した、諜報部員を主役にしたサスペンス。
一応CIAに所属してはいるが、その実態は、ただ本や雑誌を読んでレポートを本部に提出するという、まるで読書クラブのような人畜無害な部署だった。
ところが、ランチの買い出しに行って不在だったターナー(ロバート・レッドフォード)を除いた全員が、突然3人の男たちに射殺されてしまう。(明らかにプロの仕業だ)
ランチの買い出しから帰って、パニックになったターナーはCIAに保護を求める。
ターナーの親友の局員と、所属の課長ウィックスが彼の元へ行くが、ウィックスはターナーを見るといきなり銃を撃ってきた。
ターナーが応戦して重傷を負わせると、ウィックスは親友を唐突に撃ち殺してしまった。
訳が分からないターナーは、その場を離れ、一軒のブティックに逃げ込んだ……。


常に命を狙われているというシチュエーションが、この映画を見る者を惹きつけて離さない。
全く身に覚えが無いのに命を狙われるが、本で得た知識を活かして、実戦経験の無いターナーは真相を突き止めようとする。
逃げ込んだブティックで見かけたキャサリン(フェイ・ダナウェイ)を銃で脅し、彼女の自宅に逃げ込むが、やがて二人は恋に落ちる。
ガキの頃に見たこのシーン、「誘拐犯とベッド・イン? んなバカなぁ…」と思って見ていた記憶があるけど、さすがにこの歳になると、「有りだな」と思えるようになった。
これは、ストックホルム症候群と言って、実際にこう言う事があるらしい。
誘拐犯に妙に親切にしてもらったりすると起こる、心理現象の一つ。
僕は単純に「相手がレッドフォードだからなぁ」と、いつもやっかんでいるのだが……。
CIAは、第二次世界大戦の時の、真珠湾攻撃をキッカケに作られた。
その頃は大統領直属の組織で、国内でのスパイ活動は禁止されていた。(FBIがあるからだ)
時が経つにつれ、大統領の目から逸脱すると、巨大な秘密組織に成長、現在ではどれ程の人間が関わっているのかさえ謎、と言うのをこの映画をきっかけに知りました。
ラスト・シーンがとても印象的で、これからコンドルの未来はどうなるのか?誰にもわからない……という表現を見事に表したエンディングです。
お盆休み期間なので、オー!ジョーズ・メーターを復活させてみました。
楽しい映画、たくさんみましょう!

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Category: 休日は名画座で
『サムライ』最高画質版を見る!
こんばんは、ロッカリアです。
久々の更新です。
最近ブルーレイで発売されて、買おうかどうしようか迷っていたんですが、BSイマジカでオンエアがあっので即録画して観ました。
クライテリオン盤のDVDはこのブログでも記事にしたように持っているんですが、今回ハイビジョン放送ということで、かなりきめ細やかな印象の映像になりました。
ノイズ、フィルム傷もレストアされています。
おそらく、ブルーレイ・ソフトの方も期待していいんじゃないでしょうか。
ここまでの画質向上が見られると、逆説的かも知れませんが、フィルムの質感に似た映像を見ているようで、僕ら世代には嬉しい感覚になります。
元々の画質が、色彩を抑えたトーンで描かれているので、それが幸いしているのかも知れません。
話の内容は、今の視線で見ると、トンデモないシーンが気になります。
容疑者を帽子とコートを着ている人物を適当に200ぐらい捕まえて、一斉に面通しするとか、マジックのように突然銃が手に現れたりとか……。
そんな事より、これは映画ファンに与えたインパクトを重視したい作品なのだ。
まずタイトルの『サムライ』はフランス映画なのに日本語だし、一匹狼の殺し屋を、ドロンが演じたからこそ、その存在感はここまでクールな印象に定着した。(アメリカの俳優では暑苦しいのだ)
車を盗むシーン、怪我を自分で手当てする、小鳥が唯一の同居人、銃にわざと弾を込めない等々、以後の殺し屋のスタイルを決定付けた印象がある。
そしてこのスタイルも。

突然ですが、ここで【シネマ血眼ウォッチング】!
下の画像をご覧ください。
この映画は1967年に公開された作品、今から約50年ほど前になりますが、最近日本でも人気が出たある商品の広告が写っていました。

飲料水のオランジーナ!
前回見た時は、まだ日本で発売になっていなかったので、目に止まらなかったんですね。
忙しかったこの一週間、休日に昔の名画を観てリフレッシュ、これが僕のシネマ・ライフ…なんちゃって。
久々の更新です。
最近ブルーレイで発売されて、買おうかどうしようか迷っていたんですが、BSイマジカでオンエアがあっので即録画して観ました。
クライテリオン盤のDVDはこのブログでも記事にしたように持っているんですが、今回ハイビジョン放送ということで、かなりきめ細やかな印象の映像になりました。
ノイズ、フィルム傷もレストアされています。
おそらく、ブルーレイ・ソフトの方も期待していいんじゃないでしょうか。
ここまでの画質向上が見られると、逆説的かも知れませんが、フィルムの質感に似た映像を見ているようで、僕ら世代には嬉しい感覚になります。
元々の画質が、色彩を抑えたトーンで描かれているので、それが幸いしているのかも知れません。
話の内容は、今の視線で見ると、トンデモないシーンが気になります。
容疑者を帽子とコートを着ている人物を適当に200ぐらい捕まえて、一斉に面通しするとか、マジックのように突然銃が手に現れたりとか……。
そんな事より、これは映画ファンに与えたインパクトを重視したい作品なのだ。
まずタイトルの『サムライ』はフランス映画なのに日本語だし、一匹狼の殺し屋を、ドロンが演じたからこそ、その存在感はここまでクールな印象に定着した。(アメリカの俳優では暑苦しいのだ)
車を盗むシーン、怪我を自分で手当てする、小鳥が唯一の同居人、銃にわざと弾を込めない等々、以後の殺し屋のスタイルを決定付けた印象がある。
そしてこのスタイルも。

突然ですが、ここで【シネマ血眼ウォッチング】!
下の画像をご覧ください。
この映画は1967年に公開された作品、今から約50年ほど前になりますが、最近日本でも人気が出たある商品の広告が写っていました。

飲料水のオランジーナ!
前回見た時は、まだ日本で発売になっていなかったので、目に止まらなかったんですね。
忙しかったこの一週間、休日に昔の名画を観てリフレッシュ、これが僕のシネマ・ライフ…なんちゃって。
Category: 休日は名画座で
『アラベスク』二匹目のドジョウとはいかないね
こんばんは、ロッカリアです。
スタンリー・ドーネン監督は、『シャレード』の評判がすこぶる良く、二匹目のドジョウを狙って、グレゴリー・ペックとソフィア・ローレンの二人にスパイごっこをさせました。
▶︎古代言語学者のペックは、オックスフォード大学で教授としてイギリスに派遣されていた。
ある日突然車で拉致されると、ある中東の首相から、同国の石油王ベシュラービから翻訳の仕事がきたら、彼をスパイするように説得される。
何かよく分からないが、お国の一大事とあらば協力しようと一肌脱ぐ事に。
ベシュラービの元で翻訳の仕事に取り掛かるが、そこにベシュラービの女、ソフィアが現れ、仕事が終わればペックは殺されると教えられる。
それは一大事と、彼女の協力を得て何とか逃げ出すが、このソフィアの行動がどうもおかしい。
そして物語は二転三転して行く……。

サスペンスやアクション場面も結構あるけど、『シャレード』のように手放しで楽しめる作品とは、残念だが言い難い。
リズムが悪かったり、編集にも多少問題がありそうだが、『シャレード』との違いは、主演の二人にある。
オードリーとケーリー・グラントのコンビは、ロマンティックでコメディ、ユーモアとサスペンスを見事に表現し、オトボケな演技も充分にこなせる俳優だった。
ところが、グレゴリー・ペックは根が真面目過ぎるのか、『ローマの休日』で見せた軽やかさ、ユーモアが発揮できていない。
ソフィアと言えばすでにイタリア本国はもとより、世界的大女優で、『ひまわり』と言う名画や、チャップリンの『伯爵夫人』や『ああ結婚』と、コメディに近い作品にも出ていたが、本気度があまり感じられないような気がする。
これは共演した二人の相性もあるのかも知れない。
この作品は、オールドファンが、当時を懐かしみながら名画座気分で観る、と言った鑑賞法がおススメです。
ああ、また『シャレード』が観たくなって来たなぁ。
スタンリー・ドーネン監督は、『シャレード』の評判がすこぶる良く、二匹目のドジョウを狙って、グレゴリー・ペックとソフィア・ローレンの二人にスパイごっこをさせました。
▶︎古代言語学者のペックは、オックスフォード大学で教授としてイギリスに派遣されていた。
ある日突然車で拉致されると、ある中東の首相から、同国の石油王ベシュラービから翻訳の仕事がきたら、彼をスパイするように説得される。
何かよく分からないが、お国の一大事とあらば協力しようと一肌脱ぐ事に。
ベシュラービの元で翻訳の仕事に取り掛かるが、そこにベシュラービの女、ソフィアが現れ、仕事が終わればペックは殺されると教えられる。
それは一大事と、彼女の協力を得て何とか逃げ出すが、このソフィアの行動がどうもおかしい。
そして物語は二転三転して行く……。

サスペンスやアクション場面も結構あるけど、『シャレード』のように手放しで楽しめる作品とは、残念だが言い難い。
リズムが悪かったり、編集にも多少問題がありそうだが、『シャレード』との違いは、主演の二人にある。
オードリーとケーリー・グラントのコンビは、ロマンティックでコメディ、ユーモアとサスペンスを見事に表現し、オトボケな演技も充分にこなせる俳優だった。
ところが、グレゴリー・ペックは根が真面目過ぎるのか、『ローマの休日』で見せた軽やかさ、ユーモアが発揮できていない。
ソフィアと言えばすでにイタリア本国はもとより、世界的大女優で、『ひまわり』と言う名画や、チャップリンの『伯爵夫人』や『ああ結婚』と、コメディに近い作品にも出ていたが、本気度があまり感じられないような気がする。
これは共演した二人の相性もあるのかも知れない。
この作品は、オールドファンが、当時を懐かしみながら名画座気分で観る、と言った鑑賞法がおススメです。
ああ、また『シャレード』が観たくなって来たなぁ。
『ラムの大通り』永遠のラストへ。
またまた指をケガし、そこからバイキンマンが侵入、腫れてます。痛いです。病院は面倒です……。
こんばんは、ロッカリアです。
現代、この映画をストーリーで追いかけて観るのは正直しんどい。
あくまでも、小悪魔的魅力あふれるブリジット・バルドーと、中年でシブい演技を見せる元ボクサーのリノ・ヴァンチュラと言うスターに焦点を合わせて観た方がいい。
と言うのも、編集は実にいい加減で時間軸も分かり難い。肝心の二人、特にバルドーの方が、どの時点で恋に落ちたのかもよく分からない。登場人物も多く、金田一耕助が書いた相関図が欲しいぐらいだ。
でも、この映画は公開されてから現在に至るまで、映画ファンの心をしっかりと捉えて離さない魅力がある。
それは、スクリーンの中のスターに恋をして、それが現実のラブストーリーに発展すると言う、映画ファンなら誰だって一度は妄想する出来事を描いているからだ。
しかし、それは、誰もが想像し得るラストへと向かって行く……。

こんな夢のような設定は、映画界も放っておく訳がなく、ウッディ・アレンは『カイロの紫のバラ』で、リノの役をミア・ファーローに替えて描き、『ノッティングヒルの恋人』では以外にもハッピーエンド、アクション映画で言えば『ラスト・アクション・ヒーロー』もスクリーンからシュワちゃんが出て来たり、広義の意味で、『魔法にかけられて』もこの手の亜流、数えたら切りが無いのだ。
たしかに、これほど映画ファンの心をくすぐる設定は無いだろう。
と言う事は、いつの日か、ミッシェル・ファイファーが僕の目の前に突然現れて、恋に落ちる事があるかも知れないのだ!(←絶対な~~~~~いっ!)
こんばんは、ロッカリアです。
現代、この映画をストーリーで追いかけて観るのは正直しんどい。
あくまでも、小悪魔的魅力あふれるブリジット・バルドーと、中年でシブい演技を見せる元ボクサーのリノ・ヴァンチュラと言うスターに焦点を合わせて観た方がいい。
と言うのも、編集は実にいい加減で時間軸も分かり難い。肝心の二人、特にバルドーの方が、どの時点で恋に落ちたのかもよく分からない。登場人物も多く、金田一耕助が書いた相関図が欲しいぐらいだ。
でも、この映画は公開されてから現在に至るまで、映画ファンの心をしっかりと捉えて離さない魅力がある。
それは、スクリーンの中のスターに恋をして、それが現実のラブストーリーに発展すると言う、映画ファンなら誰だって一度は妄想する出来事を描いているからだ。
しかし、それは、誰もが想像し得るラストへと向かって行く……。

こんな夢のような設定は、映画界も放っておく訳がなく、ウッディ・アレンは『カイロの紫のバラ』で、リノの役をミア・ファーローに替えて描き、『ノッティングヒルの恋人』では以外にもハッピーエンド、アクション映画で言えば『ラスト・アクション・ヒーロー』もスクリーンからシュワちゃんが出て来たり、広義の意味で、『魔法にかけられて』もこの手の亜流、数えたら切りが無いのだ。
たしかに、これほど映画ファンの心をくすぐる設定は無いだろう。
と言う事は、いつの日か、ミッシェル・ファイファーが僕の目の前に突然現れて、恋に落ちる事があるかも知れないのだ!(←絶対な~~~~~いっ!)
『日曜日が待ち遠しい!』これ、探偵映画なんです。
夏バテっす!!!!!
こんばんは、ロッカリアです。

1983年に作られた、フランソワ・トリュフォーの遺作。自分の死を予感していたのか、彼自身の好きなもので埋め尽くされた映画。
南フランスで小さな不動産事務所で、ジャン・ルイ・トランティニャンに密かに恋心を抱いている秘書のファニー・アルデン。
ところが、この社長が狩猟から帰って来ると、同じ現場でその狩猟仲間がトランティニャンの銃弾と同じ数の散弾で殺されたり、自宅に帰ると妻が殺されていたりと、トランティニャンは完全に容疑者にされる始末。
そこで、秘書のファニーは、彼のために真犯人を突き止めようと、ニースに行ったり、売春婦の姿に変身したりして、素人探偵として行動するが……。

(この映画を観ると、どうしてもソニー・クラークのアルバムを思い出す)

ヒッチコック党のトリュフォーが、彼の作風を踏襲しながら、タイプライター、部屋番号813、モノクロ・フィルム、女性の脚、妻のファニー・アルダン、映画のセリフ、舞台劇に映画と、彼が愛して止まないもの全てを注ぎ込んだ遺作。
この作品の翌年、1984年に彼は癌で他界するが、この映画は自身の死を予感した上で撮影されたんじゃないかと思いたくなる。
その根拠は、彼が子供の様に、嬉々としてこの映画を作っている姿が、作品を通して伝わって来るから。
妻のファニーはとても美しく撮られているし、ひたすらヒッチ先生の演出をなぞる事で、何かを生み出そうとしている、そんな風に見えて仕方がない。
『日曜日が待ち遠しい!』と言う、およそミステリーに似合わないタイトルは、劇中ファニーが、「恥ずかしい!」(もちろんフランス語で)と言ったのを、トランティニャンが「待ち遠しい?」と聞き違えたのを、ユゴーの戯曲を舞台で演じていたファニーが、そのセリフをもじって、少し芝居がかった口調で、「日曜日が待ち遠しい!」と言い直したシーンから取られている。
『日曜日はダメよ』或いは『シベールの日曜日』から連想させられる同系列の映画だと、僕は結構長い間、勘違いをしていた事がある。
だから、初めてこの映画を観た時は、その内容に面食らったよ。(←カッコ悪…)
85年に日本で公開された時、双葉十三郎先生が、「ぼくの採点表」でこう語られていたのを改めて読んで、目頭が熱くなったよ。
”トリュフォーは、映画ファンとして死んでいったんだなァ”

こんばんは、ロッカリアです。

1983年に作られた、フランソワ・トリュフォーの遺作。自分の死を予感していたのか、彼自身の好きなもので埋め尽くされた映画。
南フランスで小さな不動産事務所で、ジャン・ルイ・トランティニャンに密かに恋心を抱いている秘書のファニー・アルデン。
ところが、この社長が狩猟から帰って来ると、同じ現場でその狩猟仲間がトランティニャンの銃弾と同じ数の散弾で殺されたり、自宅に帰ると妻が殺されていたりと、トランティニャンは完全に容疑者にされる始末。
そこで、秘書のファニーは、彼のために真犯人を突き止めようと、ニースに行ったり、売春婦の姿に変身したりして、素人探偵として行動するが……。

(この映画を観ると、どうしてもソニー・クラークのアルバムを思い出す)

ヒッチコック党のトリュフォーが、彼の作風を踏襲しながら、タイプライター、部屋番号813、モノクロ・フィルム、女性の脚、妻のファニー・アルダン、映画のセリフ、舞台劇に映画と、彼が愛して止まないもの全てを注ぎ込んだ遺作。
この作品の翌年、1984年に彼は癌で他界するが、この映画は自身の死を予感した上で撮影されたんじゃないかと思いたくなる。
その根拠は、彼が子供の様に、嬉々としてこの映画を作っている姿が、作品を通して伝わって来るから。
妻のファニーはとても美しく撮られているし、ひたすらヒッチ先生の演出をなぞる事で、何かを生み出そうとしている、そんな風に見えて仕方がない。
『日曜日が待ち遠しい!』と言う、およそミステリーに似合わないタイトルは、劇中ファニーが、「恥ずかしい!」(もちろんフランス語で)と言ったのを、トランティニャンが「待ち遠しい?」と聞き違えたのを、ユゴーの戯曲を舞台で演じていたファニーが、そのセリフをもじって、少し芝居がかった口調で、「日曜日が待ち遠しい!」と言い直したシーンから取られている。
『日曜日はダメよ』或いは『シベールの日曜日』から連想させられる同系列の映画だと、僕は結構長い間、勘違いをしていた事がある。
だから、初めてこの映画を観た時は、その内容に面食らったよ。(←カッコ悪…)
85年に日本で公開された時、双葉十三郎先生が、「ぼくの採点表」でこう語られていたのを改めて読んで、目頭が熱くなったよ。
”トリュフォーは、映画ファンとして死んでいったんだなァ”
