ちょいとブレイク 【猿の惑星:創世記】
今日は【劇場で見た映画】の時間です。
こんばんは、ロッカリアです。
今日はミステリー特集を少しお休みして。
朝の9時5分から始まる映画って、いかがなものか……。
せめて10時だろ……、8時半頃にに着いたら、シャッターも開いていなくて、ビルの外で待たされたぞい……、15分ほど……(←寝不足で、疲れて、怒っている。しかも当日は雨…)
これで映画が面白くなかったら、雨をヒョウに変えてやる!と思いながら劇場のど真ん中に陣取って、コーヒーを買い忘れたのでどうしようか考えていると「紙ウサギのロぺ」が始まった……。

映画自体は、前評判や、ブロガーさんの皆、特にHAMちゃんが言う通り充実したものだった。
昔の『猿の惑星』の時は、あのラッパ(?)の音と共に姿を現した猿の姿に驚いたが、今回はその猿たちが全てCGに取って代わっている。
今の時代、それ自体には驚かないが、そのCGがスクリーンに溶け込んでいる事には感嘆させられる。
これが、CG臭いものであるならば、あの、シーザーが放った最初の言葉に、あそこまでの驚きは憶えなかっただろう。
あの瞬間、スクリーンの中は勿論、劇場までもが凍りついた!
考えてみれば、『猿の惑星』シリーズは猿が喋るのはお約束なのだが、あまりにも猿らしい描写に、その事実を忘れ、畏怖の念を覚えたのはおそらく僕一人ではあるまい……。
ただ、この『猿の惑星:創世記』に何かを求めてはいけない。
と言うのは、これはみんなが言っているように、新たなる『猿の惑星』シリーズの、壮大なプロローグに過ぎない、と感じるからだ。
武器や軍隊がある人類が、何故猿に負けるのか……?その答えも、無理なく物語に溶け込んでいる。
こんなにも、続き、次回作を熱望したくなる作品も、近年では珍しい(個人的に)。
CMでも言っていたが、僕もちょっと泣いたよ。シーザーとウィル(ジェームズ・フランコ)のシーンで、ウィルがシーザーにこう言うんだ。
「僕が悪かったよ……、さあ、家に帰ろう」
このセリフに泣いた。
これは、シーザーがどんな事をしでかしたとしても、君は悪くない、責任は僕にあるんだと、ウィルは親の目線でこう言ったのだ。
赤ちゃんの頃から育てた、強い絆に泣けた……(←ま、いつもの事だけど…)。
ちょいと話が横にそれるが、初代『猿の惑星』の時に、これを見た人がこんな事を言ったのを思い出した。
「この映画の何処が面白いんだ?猿が英語をしゃべるなんて、地球以外に考えられないのに、あのラストにあんなに驚くなんて…、信じられない!」これは有名な評論家の言葉だが、金を貰って映画を語る資格の無い奴だと、当時思ったものだ。
そんな事を思いだいていると、本屋でこんな本を見つける。
本のタイトルはわざと書かないが、ようするに、面白い映画とそうでない映画の見分け方を伝授すると言う内容だ。
この本を読めば、大枚果たして、無駄な映画を見せられる事は無いらしい。
その冒頭に、血祭りに上がられていたのが『アマルフィ~女神の報酬』だった。
予告編を見れば、これが面白くない事が分からるらしい。
まず、女性をターゲットにしたと言うのが見え見えで、織田裕二、佐藤浩市、福山雅治と、イケメンばかりを出演させているからだと言う。
案の定、前半はまだ見ていられるが、後半、佐藤浩市が登場するあたりから、物語が波状している、と言うのだ。
確かに、「?」と言うような場面もある。
だけど、予備知識無しに見た僕は、途中から、ただの誘拐劇ではないんだ!と、かえって、後半から畳み掛けるように流れ込むラストにワクワクしたよ。
結局は、この本も独りよがりの内容なんだろうな、と感じるし、一方で、たとえ見た映画がつまらなかった、予告編に騙されたとしても、それはそれでOKなのが、僕みたいな映画狂なんだよ。
これは、映画は自分の目で確かめる、いや確かめたい、と言う映画が好きな人種で、世の中には僕みたいな人種が沢山いるんだよと、この作者に教えてあげたい!
また脱線してしまった……。
この映画、『猿の惑星:創世記』から始まるであろう新たなシリーズに期待を抱きながら、気になる人には見ておく必要がある作品、と言っておこう。
こんばんは、ロッカリアです。
今日はミステリー特集を少しお休みして。
朝の9時5分から始まる映画って、いかがなものか……。
せめて10時だろ……、8時半頃にに着いたら、シャッターも開いていなくて、ビルの外で待たされたぞい……、15分ほど……(←寝不足で、疲れて、怒っている。しかも当日は雨…)
これで映画が面白くなかったら、雨をヒョウに変えてやる!と思いながら劇場のど真ん中に陣取って、コーヒーを買い忘れたのでどうしようか考えていると「紙ウサギのロぺ」が始まった……。

映画自体は、前評判や、ブロガーさんの皆、特にHAMちゃんが言う通り充実したものだった。
昔の『猿の惑星』の時は、あのラッパ(?)の音と共に姿を現した猿の姿に驚いたが、今回はその猿たちが全てCGに取って代わっている。
今の時代、それ自体には驚かないが、そのCGがスクリーンに溶け込んでいる事には感嘆させられる。
これが、CG臭いものであるならば、あの、シーザーが放った最初の言葉に、あそこまでの驚きは憶えなかっただろう。
あの瞬間、スクリーンの中は勿論、劇場までもが凍りついた!
考えてみれば、『猿の惑星』シリーズは猿が喋るのはお約束なのだが、あまりにも猿らしい描写に、その事実を忘れ、畏怖の念を覚えたのはおそらく僕一人ではあるまい……。
ただ、この『猿の惑星:創世記』に何かを求めてはいけない。
と言うのは、これはみんなが言っているように、新たなる『猿の惑星』シリーズの、壮大なプロローグに過ぎない、と感じるからだ。
武器や軍隊がある人類が、何故猿に負けるのか……?その答えも、無理なく物語に溶け込んでいる。
こんなにも、続き、次回作を熱望したくなる作品も、近年では珍しい(個人的に)。
CMでも言っていたが、僕もちょっと泣いたよ。シーザーとウィル(ジェームズ・フランコ)のシーンで、ウィルがシーザーにこう言うんだ。
「僕が悪かったよ……、さあ、家に帰ろう」
このセリフに泣いた。
これは、シーザーがどんな事をしでかしたとしても、君は悪くない、責任は僕にあるんだと、ウィルは親の目線でこう言ったのだ。
赤ちゃんの頃から育てた、強い絆に泣けた……(←ま、いつもの事だけど…)。
ちょいと話が横にそれるが、初代『猿の惑星』の時に、これを見た人がこんな事を言ったのを思い出した。
「この映画の何処が面白いんだ?猿が英語をしゃべるなんて、地球以外に考えられないのに、あのラストにあんなに驚くなんて…、信じられない!」これは有名な評論家の言葉だが、金を貰って映画を語る資格の無い奴だと、当時思ったものだ。
そんな事を思いだいていると、本屋でこんな本を見つける。
本のタイトルはわざと書かないが、ようするに、面白い映画とそうでない映画の見分け方を伝授すると言う内容だ。
この本を読めば、大枚果たして、無駄な映画を見せられる事は無いらしい。
その冒頭に、血祭りに上がられていたのが『アマルフィ~女神の報酬』だった。
予告編を見れば、これが面白くない事が分からるらしい。
まず、女性をターゲットにしたと言うのが見え見えで、織田裕二、佐藤浩市、福山雅治と、イケメンばかりを出演させているからだと言う。
案の定、前半はまだ見ていられるが、後半、佐藤浩市が登場するあたりから、物語が波状している、と言うのだ。
確かに、「?」と言うような場面もある。
だけど、予備知識無しに見た僕は、途中から、ただの誘拐劇ではないんだ!と、かえって、後半から畳み掛けるように流れ込むラストにワクワクしたよ。
結局は、この本も独りよがりの内容なんだろうな、と感じるし、一方で、たとえ見た映画がつまらなかった、予告編に騙されたとしても、それはそれでOKなのが、僕みたいな映画狂なんだよ。
これは、映画は自分の目で確かめる、いや確かめたい、と言う映画が好きな人種で、世の中には僕みたいな人種が沢山いるんだよと、この作者に教えてあげたい!
また脱線してしまった……。
この映画、『猿の惑星:創世記』から始まるであろう新たなシリーズに期待を抱きながら、気になる人には見ておく必要がある作品、と言っておこう。