リニューアル第1弾は『スーパー8』から!
今日は【リニューアルの完成報告】の時間です。
こんばんは、ロッカリアです。
プチ・リニューアルしました。だからと言って記事のレベルや落書きが上手くなった、と言う事はありませんのでよろしくお願いします!(←何の自慢…)
スキンを明るくして、全体的に明るい感じで今年一年がんばります!
実は僕も、8ミリで映画作りをしていた時期がある。スーパー8は音も録音出来たけど、8ミリは、いわゆる無声映画だった。
さて、この映画は年末にブルーレイで見ました。
『未知との遭遇』+『E.T』+『スタンド・バイ・ミー』と言うのがこの映画に対する評価だろうが、まぁ、そんな感じだった。
今上げた映画が好きな人は楽しめる、おススメ。
この、超マイナーなブログが、世間様と同じ事を書いていても、誰も相手にしてくれないので、少し視点を変えたお話を。
実は、僕自身はとても楽しめた。
だが、スピルバーグとエイブラムスがタッグを組んで、どうしてこんなにもありふれた(失礼)ストーリーを映画にしたのか、気にならなかった人はいないだろうか?
何十年に渡り、スピルバーグ・ウォッチャーの僕はとても気になった。
実は、この作品には、スピルバーグが映画に込めた、大切なメッセージが秘められていた、と言えば、この映画(このブログも)の存在価値が変わって来ないだろうか。
映画が始まってすぐに気付いた事がある。
もの凄く画面に見入ってしまうのだ。
大袈裟に言うなら、作品の中に惹き込まれそうになるぐらい。
それは、構図の上手さや俳優たちの演技、音楽、編集と言ったものが高い水準にある事は間違いないのだが、それ以上に強いものを感じる。
この物語、8ミリ(スーパー8)映画作りをする少年少女が、得体の知れない事件に巻き込まれてしまうのだが、この時代設定が1970年代後半と言うのがポイント。
舞台を現代にして、ビデオカメラで映画を作っても良かったはず。
なのに、ワザワザ70年代にしたのは、単にノスタルジーに浸りたかったワケでもあるまい。
特典映像の中の、メイキングを見た人もいるだろう。
その中で、エイブラムスやスピルバーグ、製作スタッフが口を揃えて「子供時代に8ミリやスーパー8で映画を作った」事を楽しそうに語っている。
そして、監督のエイブラムスは、「今も昔も、やっている事は同じだ」と言っている。
これは何も、映画作りの作業は今も昔も一緒、と言っているわけではない。
彼は、映画をこう表現している。

このスピリットが、今も昔も、ず~と変わらない姿勢で映画を作って来た、と言っているのだ。
そして、スピルバーグのメッセージは、最後で明らかになる。
エンドロールの途中で(音楽はELO!)、少年達が劇中で撮っていた作品『THE CASE』が流れる。
チープで、編集も荒く、子供たちの演技もそこそこ。
特撮シーンも頑張っているが、手作り感いっぱいだ。
だけど、見ていてこんなに楽しい作品は無い!
それは、子供たちが作ったものだから、微笑ましい…と言った意味じゃない。
本編の中で、子供たちがこの『THE CASE』を作る過程を見せられた僕は、どれだけの情熱と、どれだけの純粋さと、どれだけの愛情をこの作品に注がれたのかを知っている。
それは、現在のハリウッドの映画作りに対する、映画会社への批判や、警鐘が込められているんじゃないだろうか。
そして、映画製作に携わっている全ての人に、「映画作りの原点を忘れるな!」と言う強いメッセージが込められている、と言えば、考え過ぎだ、と笑われるだろうか?
でも、映画見る僕たちは受信機だ。
いくら送信機が優れていても、受信機の感度が悪ければ何も伝わらないのではないかと思う。
だから、この映画は僕を惹き付けて仕方がないんだ。
映画のラストシーンで、飛び去ったあの乗り物の形が、星形になる(『E.T』ではかぼちゃ!)と言う念の入れようは、さすがスピルバーグ印だし、いくつになっても少年の心を持った、ロマンティックなオジさんだと笑っっちゃったよ。
(クリックで個人的評価価格が見れます↓)

まさか、この映画のエンドロールが始まって、すぐに停止したり、劇場の席を立ったりした人はいないだろうなぁ。
もしそんな人がいたら、一番肝心なものを見逃した事になる。
だって、タイトルは『スーパー8』なんだよ!
こんばんは、ロッカリアです。
プチ・リニューアルしました。だからと言って記事のレベルや落書きが上手くなった、と言う事はありませんのでよろしくお願いします!(←何の自慢…)
スキンを明るくして、全体的に明るい感じで今年一年がんばります!
実は僕も、8ミリで映画作りをしていた時期がある。スーパー8は音も録音出来たけど、8ミリは、いわゆる無声映画だった。
さて、この映画は年末にブルーレイで見ました。
『未知との遭遇』+『E.T』+『スタンド・バイ・ミー』と言うのがこの映画に対する評価だろうが、まぁ、そんな感じだった。
今上げた映画が好きな人は楽しめる、おススメ。
この、超マイナーなブログが、世間様と同じ事を書いていても、誰も相手にしてくれないので、少し視点を変えたお話を。
実は、僕自身はとても楽しめた。
だが、スピルバーグとエイブラムスがタッグを組んで、どうしてこんなにもありふれた(失礼)ストーリーを映画にしたのか、気にならなかった人はいないだろうか?
何十年に渡り、スピルバーグ・ウォッチャーの僕はとても気になった。
実は、この作品には、スピルバーグが映画に込めた、大切なメッセージが秘められていた、と言えば、この映画(このブログも)の存在価値が変わって来ないだろうか。
映画が始まってすぐに気付いた事がある。
もの凄く画面に見入ってしまうのだ。
大袈裟に言うなら、作品の中に惹き込まれそうになるぐらい。
それは、構図の上手さや俳優たちの演技、音楽、編集と言ったものが高い水準にある事は間違いないのだが、それ以上に強いものを感じる。
この物語、8ミリ(スーパー8)映画作りをする少年少女が、得体の知れない事件に巻き込まれてしまうのだが、この時代設定が1970年代後半と言うのがポイント。
舞台を現代にして、ビデオカメラで映画を作っても良かったはず。
なのに、ワザワザ70年代にしたのは、単にノスタルジーに浸りたかったワケでもあるまい。
特典映像の中の、メイキングを見た人もいるだろう。
その中で、エイブラムスやスピルバーグ、製作スタッフが口を揃えて「子供時代に8ミリやスーパー8で映画を作った」事を楽しそうに語っている。
そして、監督のエイブラムスは、「今も昔も、やっている事は同じだ」と言っている。
これは何も、映画作りの作業は今も昔も一緒、と言っているわけではない。
彼は、映画をこう表現している。

このスピリットが、今も昔も、ず~と変わらない姿勢で映画を作って来た、と言っているのだ。
そして、スピルバーグのメッセージは、最後で明らかになる。
エンドロールの途中で(音楽はELO!)、少年達が劇中で撮っていた作品『THE CASE』が流れる。
チープで、編集も荒く、子供たちの演技もそこそこ。
特撮シーンも頑張っているが、手作り感いっぱいだ。
だけど、見ていてこんなに楽しい作品は無い!
それは、子供たちが作ったものだから、微笑ましい…と言った意味じゃない。
本編の中で、子供たちがこの『THE CASE』を作る過程を見せられた僕は、どれだけの情熱と、どれだけの純粋さと、どれだけの愛情をこの作品に注がれたのかを知っている。
それは、現在のハリウッドの映画作りに対する、映画会社への批判や、警鐘が込められているんじゃないだろうか。
そして、映画製作に携わっている全ての人に、「映画作りの原点を忘れるな!」と言う強いメッセージが込められている、と言えば、考え過ぎだ、と笑われるだろうか?
でも、映画見る僕たちは受信機だ。
いくら送信機が優れていても、受信機の感度が悪ければ何も伝わらないのではないかと思う。
だから、この映画は僕を惹き付けて仕方がないんだ。
映画のラストシーンで、飛び去ったあの乗り物の形が、星形になる(『E.T』ではかぼちゃ!)と言う念の入れようは、さすがスピルバーグ印だし、いくつになっても少年の心を持った、ロマンティックなオジさんだと笑っっちゃったよ。
(クリックで個人的評価価格が見れます↓)

まさか、この映画のエンドロールが始まって、すぐに停止したり、劇場の席を立ったりした人はいないだろうなぁ。
もしそんな人がいたら、一番肝心なものを見逃した事になる。
だって、タイトルは『スーパー8』なんだよ!
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