【僕の音盤青春記PART2】の圧倒的エピソード

今日は【音楽本】の時間です。
こんばんは、ロッカリアです。
やっと続刊が発売された。
今では考えられないが、1曲の音楽、1枚のアルバム、一人の、或いは一つのグループについて、昔はこんなにも色々なエピソードがあったんだ、と言う事を改めて思い出す。
しかも、それらのエピソードは、曲やアルバムがきっかけではあるが、どれも個人の生活にまつわるものだ。
100人いれば100のエピソードがあったんだよね。
少し話がややこしくなるが、以前のブログの「海賊盤」ブログにアップしたエピソード。
レコード屋さんのお話なんだけど、お暇な人は読んで行ってね。
ま、他愛もない話です……。
”CDなるものが世に出現するまでは、当然CDショップと言う言葉は存在しなかった。(ま、当たり前…)
ショップと言うのは日本語で「お店」。(これも当たり前…)
間違いなく音楽の黄金期だった1970年代、レコード屋さんをショップと言う言い方はしなかった(少なくとも私の周りでは)。
確かに、レコードを買った際に入れてくれる袋には、「○×レコードショップ」と英語で書いていることもあった。
でも、日常会話的には、「おい、レコードショップに行こうぜ!」何て言う言葉は聞いた事が無く、「おい、レコード屋(もしくはレコ屋)へ寄ろうぜ!」が正しかった。
何故こんな事を言うのか、それは、今思い返してみると、音楽マニアには天国であると同時に、お財布には地獄と言うレコード屋さんには、それなりに意味があったと思うからです。
高校のある日、いつものように駅前の商店街の中にあるレコード屋さんに行こうとすると、反対側に新しくレコード屋さんが出来ていた。
へぇ~、新しく出来たんだぁ、と思って店内に入ると、30歳前後ぐらいのお兄さんが笑顔で「いらっしゃいませ!」と出迎えてくれた。
私は思わず「おお~」と声を上げた。
商店街の中の店とは明らかに雰囲気の違う、それらしい内装で飾られ、ロックがガンガン流れていたが、別に音楽に驚いたわけじゃない。

街中には当時流行っていたアフロヘアも珍しくなかったが、これほど立派なものは見た事が無かったからだ。
そのアフロのお兄さんは、この新しくできたお店のマスターで、笑うと少し出っ歯がチャーミングだった。
アフロマスターはすぐに「会員になると、LP20枚ごとに1枚ただで貰えるよ」と言う。
全く断る理由が無い甘い囁きに速攻登録した。
この時代、この会員登録と言う制度は本当に珍しかった。
何故かこのアフロマスターと気が合って、お金が無い時でも遊びに行くようになり、気になるレコードがあると試聴して、バイト代が入るまでよくキープしていてくれた。
試聴と言っても、タワレコ等に代表される大手CDショップでよく見かける無粋なCD再生機じゃない。
私が指定すると、アフロマスターはレコードを宝物のようにターンテーブルの上に乗せ、息を殺して慎重に針を下した。
この試聴は頑張って3枚までだった。
それ以上は申し訳ないからだ。
時にアフロマスターは「こんなの入って来たよ」と言って自らレコードを聴かせてくれる事もあった。
ちなみに、レコード屋さんだからいつもロックやポップスが店内に流れていたが、これらはすべてアフロマスターが自宅でカセットテープに録音して来たものだった。
いつの日からか、私よりも年上のお兄さんたちがアフロマスターの周りに集まるようになり談笑するようになっていたが、私が訪ねるとすぐにアフロマスターは側に来て、「聴きたいのがあったら言ってね」と話しかけて来てくれた。
僕はちょうど目当てのレコードがあったので、そのレコードをアフロマスターに渡した。
すると、すぐ横に集まっていたお兄さんたちの一人が、「知らないなぁ、こんなレコード」と言う。
全く悪気は無かったと思う。
だけどアフロマスターは、「この子はあんた達よりもよく知っていて、聞く耳も確かだよ」と少しだけ声を荒げて言った。
いつもニコやかなアフロマスターだったが、この時はそのチャーミングな出っ歯は見えなかった。
「でも知らなし、聴いたことも無いぞ…」などと言う話し声が聞こえて来たが、そのレコードにアフロマスターが針を下した瞬間、お兄さんたちから「おおっ~!」と言う小さな歓声が上がった。
「いいねぇ、コレ」と言う声も聞こえて来た。
その時かけてもらったレコードが、ウェザー・リポートの天才ベーシストのジャコ・パストリアスのソロ・アルバム、【ワールド・オブ・マウス】だった。
映画『タクシー・ドライバー』でジャズ、フュージョンにハマってから、ロック以外にジャンルを飛び越えて聴くようになっていた。
それからと言うもの、度々このお店でそのお兄さんたちと顔を合わせる事になるが、これがキッカケで「ヨッ!師匠いらっしゃい!」とか、「何かいいレコードの情報は?」と話しかけて来る仲になった。
このレコード屋さんと言う言葉の響きには、単にレコードを商品として取り扱っているんじゃなくて、音楽そのものの価値をお客さんに提供していたんじゃないか、と言う思いがある。
このレコード屋さんは、1980年代に入ったある日、アフロマスターから、
「身体をこわしたから、田舎に帰って療養します…」と告げられた。
とても哀しかった……。
お店自体は他人の人が経営を継いだが、私にとってのレコード屋さんは、このアフロマスターの時代だけだった。
最後に、私はボブ・ディランのライブ・アルバム【at武道館】と言う、滅多に買わない2枚組のアルバムを買ったが、それが私に出来る感謝の気持ちだった……。"
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