『タロットカード殺人事件』 ん~、二番煎じだなぁ…
こんばんは、ロッカリアです。

ウッディ・アレン監督の傑作『マンハッタン殺人ミステリー』のロンドン版。
だが、犯行、恐怖感、イライラ感全てにおいてスケールダウンしている。
特に、邦題にもなっているタロットカードと言う小道具の使い方が中途半端だし、殺人現場や死体を一切見せない姿勢を取るなら、ミステリー色をもっと深めるような、何かが必要だったんじゃないだろうか。
アイデアはバツグンだ!
冒頭で、三途の川(?)を死神と一緒に渡る人々の中に敏腕記者がいて、大富豪が、実はタロットカード連続殺人犯だと証言する元秘書の情報を聞く。
が、当然この記者はすでに死んでいる。
しかし、持って生まれた記者魂が、何とかこのスクープを同僚に知らせようと、死神の目を盗んで、ゴーストとして戻るが、その場所と言うのが、ウッディ演じる奇術師スプレンディーニの舞台だった。
しかも、人体解体ショーの箱の中で、客から選ばれ、中に入っていたスカーレット・ヨハンソンに事件のあらましを伝えて消える。
新聞記者志望の学生スカーレットは、ウッディを巻き込みながら、事の真相を突き止めようとするが、容疑者の大富豪でハンサムなウルヴァリン、じゃなくてヒュー・ジャックマンに恋をしてしまい……。
アイデアはいいが、ラストも容易に想像が付くし、ミステリーにしたかったのか、ナンセンス・コメディに重心を置きたかったのか、消化不良に終わった印象だ。
その原因は、おそらくヨーロッパ・シリーズと銘打たれたロンドンでの撮影にあるのではないだろうか。
マンハッタンを知り尽くした画作りと、アウェイの地ではあまりにも勘が悪いような気がする。
マンハッタンでは、さりげない場面にもニューヨークと言う街が息づいていたのに、この作品ではロンドンにした意味が、ただ貴族社会と言う一点に絞られていて、街は眠ったままだ。

そんなヨーロッパ・シリーズなんだけど、実は僕が期待している映画がある。
『ミッドナイト・イン・パリ』で、アカデミー賞脚本賞もさることながら、意外と、ウッディとパリの街って言うのは相性がいいのでは?と思っているから。

ウッディ・アレン監督の傑作『マンハッタン殺人ミステリー』のロンドン版。
だが、犯行、恐怖感、イライラ感全てにおいてスケールダウンしている。
特に、邦題にもなっているタロットカードと言う小道具の使い方が中途半端だし、殺人現場や死体を一切見せない姿勢を取るなら、ミステリー色をもっと深めるような、何かが必要だったんじゃないだろうか。
アイデアはバツグンだ!
冒頭で、三途の川(?)を死神と一緒に渡る人々の中に敏腕記者がいて、大富豪が、実はタロットカード連続殺人犯だと証言する元秘書の情報を聞く。
が、当然この記者はすでに死んでいる。
しかし、持って生まれた記者魂が、何とかこのスクープを同僚に知らせようと、死神の目を盗んで、ゴーストとして戻るが、その場所と言うのが、ウッディ演じる奇術師スプレンディーニの舞台だった。
しかも、人体解体ショーの箱の中で、客から選ばれ、中に入っていたスカーレット・ヨハンソンに事件のあらましを伝えて消える。
新聞記者志望の学生スカーレットは、ウッディを巻き込みながら、事の真相を突き止めようとするが、容疑者の大富豪でハンサムなウルヴァリン、じゃなくてヒュー・ジャックマンに恋をしてしまい……。
アイデアはいいが、ラストも容易に想像が付くし、ミステリーにしたかったのか、ナンセンス・コメディに重心を置きたかったのか、消化不良に終わった印象だ。
その原因は、おそらくヨーロッパ・シリーズと銘打たれたロンドンでの撮影にあるのではないだろうか。
マンハッタンを知り尽くした画作りと、アウェイの地ではあまりにも勘が悪いような気がする。
マンハッタンでは、さりげない場面にもニューヨークと言う街が息づいていたのに、この作品ではロンドンにした意味が、ただ貴族社会と言う一点に絞られていて、街は眠ったままだ。

そんなヨーロッパ・シリーズなんだけど、実は僕が期待している映画がある。
『ミッドナイト・イン・パリ』で、アカデミー賞脚本賞もさることながら、意外と、ウッディとパリの街って言うのは相性がいいのでは?と思っているから。
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