『マンハッタン無宿』 ダーティハリー前夜…

1970年代、頻繁にTVの洋画劇場で放送されていた頃は、クリントなのにアクション・シーンが少ない映画だなぁ……とよく思っていた映画だ。
クリント=アクション・スターだったから、この作品は『白い肌の異常な夜』と同じく、僕の中のランキング的にはかなり低い作品だった。
アクションらしいシーンと言えば、バーでの殴り合いと、最後のオートバイでのチェイスぐらいしかない。
犯人を護送するために、アリゾナからニューヨークにやって来たクーガン(クリント)は、手続きに手間取るが、やっと犯人と共に岐路に付く事が出来た、そう思った空港で犯人の仲間に襲撃、取り逃がしてしまう。
ここから、見知らぬ土地、ニューヨークでの犯人探しになるわけだが、ドン・シーゲル監督の演出は、今から見ると少々間延びしているように感じる。
女にルーズなクーガンは、スーザン・クラーク(『地球爆破作戦』)演じる女性心理官に取り入ろうとしたり、犯人の女と深い関係になったり、本筋と関係ない部分が見られる。
ただ、クーガンの目を通して見る、当時のニューヨークの退廃的な風紀や悪意に対する表現はバツグンで、現在のニューヨークとの違いが映画の中だけでも見て取れる。(前回の『グロリア』でもそうだった)
そんな大都市にウンザリしながらも一人で犯人を捕まえようとするクリントはめっぽう女にだらしない設定が笑えるし、そこがハリー・キャラハンとは違うし、ファッションも田舎者を強調するように、スーツにテンガロン・ハット、ウェスタン・ブーツと言うとんでもない格好だ。
一年後に公開される『真夜中のカーボーイ』では、ジョン・ボイトがわざと目を惹くためにこんな格好していたし、クーガンをモデルにしたようなTVドラマ「警部マクロード」にフィードバックされたのは有名な話だ。
主人公クーガンの性格、こうだと思ったらとことん突き進む犯罪大嫌い人間のキャラは、『ダーティハリー』で開花するのは周知の事だが、もう一つ、そこに繋がるキーワードがあった。
ハリーの全シリーズに共通する決め台詞があるよね。
「自分自身に聞いてみろ…」「泣ける…」「俺の日を作らせろ…」などなど。
この作品では、クーガンの格好を見たニューヨーカーは、「テキサスから来たのか?」と口を揃えてたずねるが、それに「アリゾナだよ!」と何回答える事か。
だんだんイライラして行く姿がハリーを連想させるのが面白い。
この映画を未見で、クリントが好き、『ダーティハリー』が好き、と言う人は、押さえておきたい作品だ。
東京の試写会に頻繁に誘って頂く関係者のみなさん、いつもありがたいのですが、「私は大阪です!」
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